12月28日 7日目

ホテル前へバスが来ます。

レギュラーバスにて国境を越え、アルゼンチンのカラファテへ

(バスの中はガイドは付きません)(5時間)

午後、カラファテ到着、その後、フリータイム

わかりにくいですが、真ん中のA地点で国境を通りB地点までへ移動。 

 翌朝、ホテルの前にバスが来るはずが、なかなか来ない。待ってる荷物も寂しそう。あちこちのホテルを廻ってくるので、1時間近く遅れて迎えにきました。これって便利なの、不便なの?

 バスはシートもきれいで乗り心地もなかなか。

ここはチリ側のパスポートコントロール。

 さっさとチリを出国してる人も。全員がパスポートチェックを受ける間はヒマなので、、、

 いったんバスに乗って緩衝地帯を抜けると今度はアルゼンチン側のパスポートコントロール。

一人一人「やあ○○!元気かい?おおっ日本から来たの!」みたいに陽気な係官だけど、なかなか進まない。

 カラファテのホテル(左)にチェックイン。アルゼンチンに入って最初の町なので、すぐ両替に行きました。

 サンタクルズ銀行の営業時間は午前の部分にテープが貼られている。だから、14:00から19:00まで、ということ?

 チリペソはもう必要ないから、アルゼンチンペソに両替。最初からするとかなり率は悪くなった。つまり日本円→米ドル→チリペソ→アルゼンチンペソ。矢印ごとに手数料が発生するから(泣)。米ドル→アルゼンチンペソも可能だけど、残ったチリペソは日本で両替できないし、日本円→チリペソまたはアルゼンチンペソはダメ。

カードのレートでは、

1チリペソ=¥0.23

1アルゼンチンペソ=¥35

でした。

そのまま、街の散策とお買い物。

ここは途中にあった公園。

チョコレート屋さんには、いろんな種類が並んでます。右のアイスクリーム、指のところに2kgの表示。どんだけ食べるんだ(汗)

街の中では、羊の開き?を焼いて(もちろん切り身で食べるんでしょうが)いましたが、食べられそうにない。

胃が疲れてきたので、スーパーで買ったサラダやハム、トマト、チーズ、ビール、、、と、飛行機から頂いてきたカップヌードルで晩御飯。リラックスできて良かったぁ。 

 

12月29日 8日目

終日、ペリトモレノ氷河 観光 (乗り合いツアーの英語ガイド)

 展望台からとボートからは、氷河全体の美しい眺め

 昼食はレストランにて

翌日は乗り合いのバスツアーでペリトモレノ氷河観光。町からは約80km程。

機関銃のようにしゃべるガイドさん。

「みなさん、どちらから来ましたか?」、、、「国内、日本、イタリアですか。じゃあ、スペイン語、英語、イタリア語で説明します」と言ったとたん、ほんとにしゃべりだしました。多くの言語を操るというのもすごいけど、途中、写真休憩の時は、「しゃべるの疲れちゃったわ」と言いながら、運転手さんとしゃべっていました。そっちの方が凄い!

国立公園の入場手続きの後、船に乗り換えるためバスが湖の縁に駐車。そこまで湖に近づかなくてもいいような、、、

船のチケットは使いまわし

これは、隣の船ですが、氷河の近くはゆっくりと進みます。

高さと青さに感激。ただし、寒い。我々は、羽服にゴアの合羽を着てました。

氷河の高さは高いところで60m。

針みたいなところも

その後、バスで移動し、氷河が間近に見える展望台(バルコニー)へ移動。

人の大きさと比べればその巨大さがわかる。

遥か彼方までせり出した氷河。

画面の中に船がいるはずだけど、、、

そして、カラファテに戻り、もう一泊。

次の日、大事件が起こるとも知らずに、平和な眠りにつきました。

 

12月30日 9日目

7:00、バスにてフィッツロイ・セロトーレトレックの起点、チャルテンへ(5時間)

到着後フリータイム

地図では、北へ湖二個分の左端まで移動です

「そろそろ、朝ごはん食べに行こうかぁ」という時、フロントから「迎えの車が来てますよ」と電話がありました。なんと、今日からサマータイム。昨日もその前も、誰も教えてくれなかったよぅ(号泣)

大慌てで荷物を抱え、「このパン頂戴!」と朝飯を調達、チェックアウトしました。

 後から聞いた話では、今年アルゼンチンの大統領が代わり、歴史上初めてサマータイムが実施されたとのこと。なんでも、現大統領は前大統領の奥さんで、前大統領のやってた事をことごとく変えているのだとか、、、(^_^;)

これは、バスターミナルへ着いてから初めて見た案内文、

エル・チャルテン行きバスの窓口。

なんとか間に合いました。

バスはアルヘンティーノ湖の脇を何事もなかったように進みます。

その間、私たちは、朝ごパン、を食べてやっと落ち着きました。

バスは人家も何もないところをひた走り、途中オアシスのような店で休憩。仔牛や仔グアナコが癒してくれます。後でわかったことですが、左の写真に写ってる髭の男性。トレッキングのガイドさんでした。

チャルテン村の入り口で、国立公園に入るときの注意事項のレクチャーを受けた後、ホテルの目の前にバスが止まりました。ここが終点。

トレッキングに使うストックをレンタル屋さんで借りてきました。

ここはホテルへ戻る途中の「チャルテン村大通り」。

 レンタル屋さんでは、パスポートを人質に取られ、後にヒヤヒヤさせられることとなり、、、

 午後はまだ時間がタップリ。散歩というか下見に出かけます。

これは、チャルテン村ほぼ全域。

今度はリャマが居ます。

トレッキングルートの入り口には木製の案内板が。

この道を10km行くと標高が○○mになって、湖からセロトーレが見える。わかりやすい。その他にも、犬は繋いで、とか注意書きも書いてあり、親切。

で、少し歩いてみることに

これはタカネヒカゲの仲間。

日向ぼっこをしてました。

左はカラファテ、右は何だろう?

これはアネモネの仲間かなぁ?もしかしたら、ネギボウズみたいになるやつ?

すごく小っちゃい花なんですが、細い茎が地面を這ってその先に咲いています。

フィッツロイが見える丘まで登ってきました。

風が強く、立っているのがやっと。

フィッツロイは「煙を吐く山」と言うそう、その名の通りの景色です。

帰りにはファイヤーフラワーと、小さい黄色い花。黄色い花の葉っぱはショウブをずっと細くした感じ。

そこらじゅうにあるトゲトゲの木と、不思議なキノコ。

この鳥、目が真っ赤。

あんた飲み過ぎじゃない?

晩御飯は、村で一番?のレストランで。

昔、5大陸は一つだったというパンゲア大陸から取った名前でしょう。

スペイン語読みでは「パンヘア」と言ってましたが、、、

ビールを頼んだら、970ml、ほぼ1リットルということ(驚)。

飲んじゃいましたが、、、

 

12月31日 10日目

 終日、フィッツロイトレッキング

地図ではピンクの線です

今日は、フィッツロイを見に行くトレッキング。

なかなかいい天気で期待できそう。

英語ガイドと現地ガイド?が運転手付きの合計3名でお迎え。客は我々二人、、、大名旅行になってしまった。

今日のコースは、チャルテンからの往復ではなく、車で運んでもらい、そこから一方通行で帰ってくるというコース(上の地図のピンクの線)。出発前に聞いていた往復コースよりいろいろ見られていいかも。このガイドさんが昨日のバスで偶然乗り合わせていた人、だったけど、お互いに気づかず、日本に帰ってから写真を見ていてやっとわかった。

早速、虹がお出迎え。

氷河湖をバックにフィッツロイが見えてきました。

だんだんすばらしい景色が見えてきました。英語ガイドが説明しながら歩いてますが、わかりにくいし適当。現地ガイドはどこかへ行ってしまいました、、、。

手前は日本の湿原のよう、奥には壮大なフィッツロイが。


頂上が近くにせまり、大感激!まるで絵葉書の様。

お昼御飯はカプリ湖のほとりの専用テントで。普段は風が強いらしいけど、今日は外で食べても問題なかった。

湖から見たフィッツロイも美しい。

いつのまにか消え、いつの間にか現れる現地ガイドと合流して、チャルテンへ向かいます。

チャルテン村が見えてきました。ずっと見えていたフィッツロイともそろそろお別れ。

一度ホテルに戻り、また、例のレストランに食事に行きました。

これは、歩道ですが、ふつうの登山道のよう。

サラダを頼んでみました。

しおれたり、色の悪い野菜が豊富で、とても怪しい。

 

帰りにスーパーへ寄ってみたら、変色した野菜やしなびた果物を売ってたので、ある意味納得。

ホテルに戻ると、山に笠雲がかかり、悪天の兆候が、、。

このころから、風が強くなり、後ろ向きに歩く人も(写真に撮りたかったなぁ)。

ところで、今日は大みそか。途中のお土産屋さんで、「Happy New Yearは日本語でなんていうの?」と聞かれたので「Akemasite Omedetou」とメモしてあげましたが、その後日本人来たかなぁ?

 

1月1日 11日目

荒天のため、トレッキングをやめ、早めにカラファテへ移動

日の出のころ、一度目覚めると、外には虹がかかっています。

ボーっとした頭で、おめでたい新春の虹だなぁ、などと思いつつ、もうひと眠り、、、が、

このあと、元旦早々トラブル大発生。

次に目覚めると、外は暴風雨

ツアー会社が迎えに来て、出かける人達もいました。が、45分くらいで帰ってきました。

 

 

 

 我々は、現地旅行会社に電話して、

私:「今日のトレッキングはキャンセルするけど、ランチボックスだけ頂戴」

ガイド:「わかった。あと3分で行くから待ってて」

と、1時間後に来ました。

ガイド:「キャンセルしても料金は戻らないけどいいか?」

私:「いいよ(電話でいいって言ったじゃん)。ランチボックスは?」

ガイド:「あ、忘れてた。5分後に持ってくる」

と30分後に持って来ました。

 

一方、ホテルからは、

フロント:「次の客が入るから、部屋を明けてくれ」

私:「昼までは使える筈だ。バウチャーを確認してくれ」

フロント:「ちょっと待って、、、どっか行っちゃった」

私:「そんな筈あるかい。ちゃんと調べてよ。妻が風邪ひいてるし、休ませたいんだ(ホント具合悪そうでした)。」

フロント:「、、、(やだって顔)」

私:「この件は、帰国してから調査を要求する。いいね。」

フロント:「(しぶしぶ)わかった。」

私:「そのかわり、バスのチケットを昼の便に変更をしてくれ。今日は早めにカラファテに移動したい。手数料は払わない。」

フロント:「わかった。すぐやるよ。」

こちらは、すぐ手配してくれました。

私:「出発まで、休める処はない?」

フロント:「休憩室があるから、使っていいよ」

と休憩室に移動しました。

 

さらに、レンタルで借りたストックを返しに行かなければ、、、

合羽を着て暴風雨の中、レンタル屋さんに行くと、

「今日は正月だから、昼までお休みだよーん」の張紙。

30分くらい待たされ、やっと開店、ストックを返すと、

「ありがと、じゃね」みたいなことになったので、

「おいおい、パスポート、パスポート」

「この缶の中にあるから、持ってって」、、、

(なんのために預かったのかなぁ)

 

やっとバスに乗れました。

この間、当然ながら写真はありません。 

帰りも同じオアシスのような店で休憩。

ここではアルマジロも飼ってました。右は壊れた風車。西部劇みたい。

カラファテの町に戻ってきました。

今朝の暴風雨がうそのよう。

今日泊るのは、ホテルミケランジェロ。

バスを変更したので、現地係員の迎えがなく(連絡のしようもなかったけど)、勝手に歩いて行きました。

このあと散歩に出かけ、ラグーンでは遠くに点のようなフラミンゴが見えましたが写真にならず。これは街中のきれいなおうち。

ホテルに戻り、ロビー(写真)でくつろいだ後、何度目かの冷たいシャワーを浴びて、充実した一日も終わりました。

と思っていたら、バスを早めていた連絡が、現地係員に届いてなかったので、その人が青い顔をして確認に来てくれました。その女性はあんまり慣れてないようで、アルゼンチンでは珍しく最初に「迎えに行けなくてごめんなさい」とおとなしく言ってました。(わざわざ確認ありがとね)

1月2日 12日目

午前、乗り合い英語ガイドと共に空港へ

アルゼンチン航空にて、空路ブエノスアイレスへ(3時間30分)

午後、ブエノス到着後、ホテルへ その後、フリータイム

夜、専用日本語ガイド同行でレストランにて夕食の後、タンゴショー鑑賞へ

今日からいよいよ帰国の旅が始まります。

まずは、ブエノスアイレスまで飛行機で移動。

ここカラファテ国際空港は、こじんまりとしていてまるで日本の地方空港のよう。飛行機まで近くていいなぁ。

北に行くにつれ、雲も夏雲に変わってきました。冬なんだけど、、、

機内食も出てきた。

真ん中のロールケーキに見えるものは、中が肉、凄い発想だ、と思うのは我々だけかも(汗)

そして、着いたブエノスアイレスでは気温が38℃。いきなり真夏に連れてこられた(冬だけど)。

ホテルはキッチン付き、リビングとキングサイズベッド(ホント巨大)のあるベッドルームにバスルーム。ここで一泊だけなんてもったいない。

ホテルで一休みして、夜はガイドさんの案内で、食事に出かけました。

レストランではシーフードリゾット(右)が出て、10日ぶりくらいで米を食べたので大騒ぎ。ガイドさんは日本人の3世だそうで、こちらも久しぶりに日本語で会話。

その後、タンゴショー鑑賞へ。

このお店は、各国のVIPなども訪れる有名な店なのだとか。

私たちの席はステージのすぐそばのバルコニー。さすが本場のアルゼンチンタンゴ、堪能しました。客席はギュウギュウ(右)

1月3日 13日目

午前、専用日本語ガイドと 共に半日ブエノス市内観光

夕刻、空港まで専用日本語ガイドがお送り

21:15、デルタ航空にて空路、乗継地へ (約10時間15分)

今日はアルゼンチン出国の日。ですが、出発は夜なので、市内観光に出かけます。

ここは、街の中心にある五月広場。

こちらは大統領府。革命の流血で赤く染まったので、後に、ピンクに塗ったそう。エビータが手を振ったのは左から2番目のバルコニー。

続いて大聖堂に行きました。

これは悲しみのマリア像。うつむき加減だからというのがその理由。なんだか日本人みたいな顔だなぁ。

外へ出ると、目の前を衛兵交代の列が。

この直後、いきなり力が抜けた歩き方になったのが、かわいい。

その後、車で移動し、タンゴ発祥の地、カミニートへ。

ここへ来て、プエルトナタレスで泊まったホテルの外壁と同じ塗り方だったことを思い出した。あの壁は、タンゴをイメージしてペイントしてたのね。

そろそろお昼。オープンレストランへ行き、前前菜のピロシキのような肉詰めを食べ、前菜の焼肉を食べ、、。

焼肉は中身ごとの腸、腎臓など。この皿の下には炭が入っていてジュウジュウ。

メインはもちろん肉。

これは、豚の開き、正確にはアサードですが、これを切り分けて食べるそうです。でも、もう無理なので、チキンを頼みました。

サラダも頼んで、ホッとした。

久々に食べる葉っぱでした。

その後は、お墓の見学。

金持ちは墓に金をかけるそうで、100万ドルするお墓もあるそう(汗)。

これはエビータの墓。

ちょっと奥まったとこにあるけど、人が大勢行くのですぐわかる。

たくさんあるプレートに悲しい物語も書いてあるんだろうけど、わからない、、、。

最後にホコテンへ行き、ちょっとお土産を探した。

けど、暑くてへばり気味。

そして夜、いよいよ日本へ向けて出発。

乗るのは、アトランタ経由ロス行き。

実は、搭乗時にもちょっとしたハプニングが。

セキュリティを通った後、機内で飲むための水を買っておきました。もうコインもなかったのでカードでね(200円くらいか)。ところが、搭乗直前、「水は持ち込んじゃダメ」と言われ、持ってた人はみんな捨ててました。初めに言っといてくれー。入ってから買ったんだぞぅ。プンプン。ところで集めた水は、また売るのかな?

 

1月4日 14日目

アトランタへ行きの2度目の機内食。

バナナがすごくおいしいことに気付いた。

アトランタ空港で日の出を迎えました。

空港内でヤキソバを見つけました。

これが、とてもうまい。アメリカで食べ物がおいしいと思ったのは初めてかも。

そして、成田への出発便表示が、、、

 

1月5日 15日目

日本へ向かう機内食が、なんとなく豪華な気がするのは、私達だけ?

座席のモニターには、ついに日本地図が入ってきました。

最終的には、アトランタから成田まで14時間20分の予定が、20分も早く着きました(汗)。

冬に出発し、夏を経由し、早春の地へ。また、夏を経由して、冬に戻った15日間。長いようで短い、多少のトラブルもあったけど楽しい、自分達なりの旅ができたと思います。大勢の方に感謝しています。