ことの成り行き:GWに山から帰ると旅行会社から留守電が入っていた。「お父様がトルコで入院されました。詳しくは○○旅行の○○までお電話ください。」
夜だったので、翌朝電話を入れ、旅行会社へ向かった。旅行会社で旅行保険の説明を受け、現地から診断書をFAXしてもらい、パスポートを取得(緊急の際は当日もらえる)。チケットを手配してもらい、翌々日にはトルコへ向かった。機内で読もうと成田で買った「地球の歩き方は」睡眠薬でした。現地で見舞い、回復の見込みが立つと、日本での病院の手配などをして、保険の関係でパリ経由で帰国。あっと言う間の10日間だった。
このページでは、見舞い時間以外に現地で見て回った部分を載せました。
見舞いの後、歩いてホテルに帰る途中、見つけたイスラム寺院。見学できるなら、と寄ってみた。入り口には、親切な人がいて中を案内してくれた。トルコの人達は親日家が多く、あちらこちらで親切にしてくれた。なお、ビデオの日付は合ってるけど時間は違う。
靴を脱いで入ると中はだだっ広い。一日5回お祈りするために集まるスペースだから、当然かも。
上の方にはステンドグラス。ちょっと地味。
親切な人が案内しながら見せてくれたコーラン。何か説明してくれたが、トルコ語なので全く解らない。
帰り道、八百屋?果物屋?の前を通る。
見本のスイカが穴を掘ったような形でくりぬいてある。後から聞いた話では、イスラエルからの輸入品だそうだ。
値段は77000トルコリラ。大雑把なレート計算はゼロを三つとって半分にする。77000÷1000÷2=約38.5円。安いぞ!
とはいえ食べきれる訳もなく、隣のイチゴを買って帰った。大小さまざまだけど意外においしい。
そして、こちらでは絨毯屋の 店先で少年が、
実演中。看板娘ではなく看板少年?
強引な客引きもなく、覗いてみることにした。
店の中の絨毯は、聞いていたとおりの相場。ただ、もともと高いので買わなかったではなく買えなかった。
一角には年代物のミシンがあった。むしろこちらの方が貴重かも。
ここアンカラは内陸のせいか急に暑くなった。芽吹きだった葉もいきなり繁ってきた。
ホテル近くの公園に行ってみると、リードなしの犬がジャブジャブと水路沿いに歩いて来た。私たちが気になるのか立ち止まってこっちを見た。
飼い主が口笛で呼ぶと、すぐにそちらに向かったので、しつけはされているようだ。
八重桜も咲いていた。5月はじめなのにもう咲くんだろうか?
ホテルの近くには、けっこう豪快な噴水があるけど、涼んでる人は誰もいない。
見舞いの後、通訳として来てくれた方に案内をお願いして、アンカラ城へ行ってみた。
タクシーのメーターがえらい事になっている、、、けど、実は¥120弱。
(そういえばホテルのチェックアウトの時の請求書は1億5千万リラ。カードで払い、後で換算したら7万5千円ほど。なぁーんだ。なお、宿泊費は保険で支払われたので、これは殆ど日本への電話代。)
なぜか、トランクを開けたままのタクシーが城門に入って行く。
城門をくぐった後は車一台がやっと通れる幅の道。
両脇には普通に人が住んでいる。
その隣には遺跡が、、、。
ビデオを見つけてガキ共が覗きに来た。
極々普通の生活がされている。
ふと電波塔かアンテナみたいなのを見上げると、
人が登って修理?していた。
壊れた城壁みたいなところを登ると、
その上に立てる。
市内が一望のもとに見渡せる。
ただし、柵もないので足元注意だ。
これは城壁の間の銃眼みたいなところ。
その辺には普通に鶏がコォーコッコッコと歩いている。
たぶん、この窓は開かないし閉じない。
梁を棒で支えている。大丈夫と信じれば大丈夫ってやつだ、きっと。
町へ下っていくと、こんな秤が現役だ。
こちらは、剥いだ牛の皮を道路に広げて干しているし、この辺りは生活感いっぱいだ。
身近にあるイスラム寺院。
こんなクロネコが良く似合う。
こちらは、銅の鍋?を叩き出して作る職人さん。私がビデオを向けると、いっそう気合を込めて叩いていた。
帰りのタクシーが突如エンコした。ボンネットの中はスカスカで20年前の車みたいだ(本当に20年前の車かも知れない)。
すると運転手、通りがかりのタクシーを止めて、乗り継ぎの交渉をしてくれた。ここまでの料金を払おうと大きなお金を出すと、近くの店で両替をして端数をまけようとしている。逆にチップとしてあげたいくらい。何もせずにタクシーを乗り継ぎホテルに着いてしまった。ホント、トルコの人は親切で有難い。
ホテルの部屋から眺める日の入り。
普段こんなことはないので、不思議な気分だ。
別の日は博物館へ。
昔の商人たちの使った建物が博物館になっている。
ヒッタイト時代とかローマ時代とかに分かれて展示されている。
これはクマみたいだけどたぶんライオン、、。
アタチュルク廟へ行ってみた。
近代トルコの創始者として多大な貢献をした人だ。
が、とてつもなく遠い。暑い石畳を延々と歩き、
巨大な広場に到着。
さらに、あの巨大な建物に向かう。
その建物の奥ぅの方に巨大な石棺があった。
衛兵の交代時間らしい。交代するにもだいぶ時間がかかりそうだ。
別の日には、ローマ時代の遺跡に行き、隣にあった女子高の生徒(みんな美人だ)が英語をしゃべる練習をしたくて寄ってきたり(こちらもうれしい)、何気なく寄った店で、何も買わないのにチャイをご馳走になったり、本屋で地図を探していると、わざわざ持ってきてくれた客のおじさんとか、いろんな人に親切にしてもらった。
改めて訪れてみたい国だ。