1981年8月19日ー23日

実川(飯豊) 登山用品店の友人と沢登り。

沢の中で2ビバークという長大な沢、”サネガワ”と読む。

別の友人も言ってましたが、「沢登りじゃなくて、藪こぎに行くんでしょ」。

そのとおり(^_^;)。

お盆過ぎという時期なのに長ぁーい雪渓も出現。おまけに台風にも襲撃され、、、。

 

  8月20日 1日目

19日の夜、東京を出発し、道に迷いながら、翌早朝に林道の終点に到着。

3泊4日分の装備、食糧(予備を含め5日分)を点検。道端に広げてみました。ザイルに登攀具、草鞋、ツェルトにシュラフ 、コンロ等々。

 食事は朝夕はジフィーズを二人で一食分、昼は行動食。食事の前後に紅茶などを飲み、体を温め腹を膨らます。不足のカロリーは、ウィスキーで、という身勝手な食糧計画を立てました。さらに、釣竿(写真の右上にあります)を携え、あわよくばイワナを現地調達という虫のいい考え。しかし、計画どおりにいかないのが世の常だった。

高巻きの途中から見た魚留めの滝。この後、いったん沢に降り、魚留めの滝の左岸(写真の右上)の岩へ上がりビバーク。

ここまで、1日がかり。いきなり胸まで浸かる渡渉に始まり、何度も渡渉を繰り返し、イワナと一緒に泳いだりして(泳ぎながら手を伸ばすとスルッと逃げられた)、下追流沢との出合で昼食。徹夜で運転してきたので、ここで20分ほど爆睡。

その後、標高差200m、3時間にもおよぶ大高巻きでたどり着きました。 そして、現地調達のイワナを釣ろうと、餌ミミズを持って行ったのに、滑ってころんで、釣る前に流してしまいました(号泣)。なので、ジフィーズを一食余計に食べ、早くも食糧計画の危機に、、、。

 

   8月21日 2日目

翌朝のビバーク地。濡れた服に着替え、今日も朝から水に浸かるために?出発。

3時間におよぶ大高巻きの途中、「昭和十二年八月 一越山岳会」と鉈目のあるブナの大木を見つけそこからトラバース。比較的傾斜のゆるいところを下り、最後は岩を滑り降りました。沢に降りてみると奥には巨大な虹吹きの滝が、、、。この後右岸をトラバース。小さく巻き、滝の下を渡渉。台風のような水しぶきでした。遠くから見ると虹が見えるんだろうなぁ。さらにこの後、左岸を大高巻き。

沢に戻ると、崩れた雪のブロックが谷を埋め、通過が大変。

写真では少し泡立って見えますが、それは雪解けの泡。この下を渡渉したときは、○○が縮み上がるほど冷たい。

ところで、この写真は、雪のブロックを投げようとしているところ。意味なし行動だね!

しばらく進むと、二条に分かれる吹割の滝。

これを過ぎると、高い側壁に囲まれたゴルジュへ突入。

途中で岩に挟まったり、ゴルジュ内の滝の側壁にハーケンを打ちギリギリのフリクションで越えたりして、上追流沢の合流点を過ぎ、川床から20m程高い林の平坦地でビバークしました。このころから谷底から見える狭い空では、雲の動きが早くなってきました。

 冷え切った体を暖めるために、ウィスキーの紅茶割を飲むと、二人とも寝てしまい、ローソクも倒れ、辺りは真っ暗に、、、。よくツェルトを燃さなかったもんだ(恐)。

今度はヘッドランプを点けて飲みなおし、暖まったところで熟睡。ちっとも懲りてないかも(汗)

 

   8月22日 3日目

雲の動きが早く、今日中に上に抜けないと危険と思い、早めに出発しましたが、すぐ3時間(標高差300m以上)の大高巻き。2時間程の所で降りられるかな?と偵察に行くと、200mもの絶壁に阻まれ、さらに先に向かった。ゴルジュの中にはいくつもの滝や崩れた雪渓が見え、沢通しにも、遡行は無理とわかりました。小沢通しにやっと沢におりるとそこは豊実沢との合流点。いくつかの滝と雪渓が交互に現れ、その先には長大な雪渓が現れた。これは、その時の写真。長さは2km近くあるかも。結構バテバテで登っています。もっとも、この雪渓のおかげで、その日のうちに稜線にたどりつけるという時間短縮になりましたが、、、。

さらにいくつもの雪渓と滝を越え、草付きをアイスハンマーでトラバースしたり、目の前の雪渓が崩れ落ちるのを目撃したりとするうちに、さすがに水量も減ってきました。

沢を詰めていくと、お花畑を抜け、ピンポイントで飯豊山神社の真裏に到着。ここは頂上付近の広い尾根。だけど、台風の影響で、ガスに覆われ、強風も吹いています(合羽のスソがめくれている)。

それなのに、三角点の上に乗って記念写真を撮ったり、と余計なことをしてました。

この直後、アラレが降り始めたので、少しでも先へ行こうと、御西岳の避難小屋へ移動を開始。風に飛ばされた石がヘルメットに当たったり、自分が風に飛ばされたり、と大変なことになってきました。

そしてズブ濡れになりながら、小屋に到着。もともと沢を登って来たのでズブ濡れだったけど(^_^;)

小屋泊りの別パーティがラジオと天気図用紙を持っていたので、天気図を書くのかなぁ、と見ていたら「天気図は書けません」とのたもうたのでビックリ!用紙をお借りして、記入してみると、台風は飯豊直撃コースであることが判明。その晩は、小屋が揺れるほど風が吹いて眠れませんでした。

 

   8月23日 4日目

翌未明というか早朝というか、風が止んだので、すやすやと眠ってしまいました。と、しばらくして、また暴風雨が始まり、目が覚めました。台風の目が通過したのね。

紅茶と行動食の残りで朝食を済ませ、嵐の中下山開始。川のようになった登山道を下り、雲の下へ抜けると見えた景色がコレ!

枝沢全体が滝のよう。

樹林帯に入っても、滝のような雨が続き、服を着たまま泳いだみたいになって、車にたどり着きました。

さらに、写真のように阿賀野川は大洪水!食糧の残りは二人で飴玉2ケ。

昨日のうちに沢を抜け出してよかったぁ、とつくづく思いました。

その後、食事をしたり温泉に寄ったりして、無事に帰れましたとさ。

 

 

記録↓と遡行図

8月19日

2115 渋谷発

2300頃 高速久喜

 

8月20日

130 郡山インター

530 日出谷駅

700 箱ノ沢出合着

745 発

845 湯ノ島小屋

945 出合朝飯

1250 下追流沢下 昼

1330 発

    右岸大高巻

1700 魚止め滝上

 

8月21日

500 起床

700 出発 

   虹吹の滝 左岸大高巻

   御銭沢出合 雪渓

1600 下追流沢出合上の台地

 

8月22日

615 出発

   右岸大高巻

830 豊実沢出合

1030 ナメ滝上

1100過ぎ 二又

1200 メシ

1230 出発

1306 稜線

1430 御西小屋

 

8月23日

700 起床

805 出発

1030 牛首山手前 行動食

1230 湯ノ島小屋

1330 箱ノ沢出合

1400 発

1830 野口記念館前

2400頃 帰宅

 

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